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室町幕府の最後の将軍足利義昭の子 照応丸

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先日開催された第4回 正岡祭りの史跡巡りで、行ったところが、竜岡寺、渡瀬館で

足利幕府最後第15代将軍足利義昭と河野氏第61代通直の孫章子との間に生まれた義通は、足利義昭が追放された後、章子が河野家に身を寄せ、河野通勝として、後に正岡通勝として、経政が幸門城で養育した。となっているが、実際は、渡瀬館つまり居城で養育した。

その渡瀬系の正岡氏の家紋は、日本政府のパスポートと同じ、五三桐だ。
第4回の正岡祭りには、渡瀬の正岡氏の直系子孫の兄弟もきていて懐かしいって思い出した。

この照応丸 義通 の墓標が、竜岡寺にある。

伊予には、隠れキリシタン碑が多い。その、墓標の中にある小さい3つ。義通の子供と言われているが、それもキリシタン形式なのだ。

そんでもって、玉川、今治近辺は、非常に多い。30基ほどある。それは、歴史的に、キリスト教が、日本に渡ってきた経緯と関係しており

天文1549年 ザビエル以降、伊予に初めて宣教師が来たのが、1559年永禄2年ポルトガル人宣教師ガスパル・ヴィイラが松山市堀江にきている。そこから、高繩半島の北条市、菊間町、大西町、波方町と広がって、ちょうど河野氏が支配していた地域に広がっている。

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