MASAOKA

アスペルガー的発想からの独り言から、進歩しました。 https://sns.masaoka.jp/

2017年 メシアが到来

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旧約聖書では
預言者エゼキエルが「終わりの日」に起きる「出来事」を詳細に描写し、また預言者ダニエルは「その時期」について語っている。

これは、ノストラダムスの大予言と同じく、スカを食らうのかもしれないが

それはロシアとその同盟国によるイスラエル侵攻を指しており、時期はエルサレム再建(1948年)から69年後(2017年)

この時に、予言されていたメシアが到来し、はるか古(いにしえ)に神とユダヤ民族との間で交わされた契約が成就する、とされる。

また、新約聖書ギリシア語聖書の場合
冒頭の「マタイ書」ではイエス自らが予言を語り、最後の「黙示録」もまた予言で締めくくられているくらいだ。

どうも、キリスト教は、仏教と違って、終末のイメージが明確だ。
日本の仏教も大昔、末法思想っていうのがあったが。

マタイによる福音書

http://bible.salterrae.net/kougo/html/matthew.html

24:3またオリブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとにきて言った、「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」。 24:4そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。 24:5多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。 24:6また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。 24:7民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。 24:8しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。 24:9そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。 24:10そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。 24:11また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。 24:12また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。 24:13しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。 24:14そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。

(マタイ24・3~14)

「世の終わり」の特徴として、まず戦争・飢饉・地震があちこちで起きると予言している。

24:15預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、 24:16そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。 24:17屋上にいる者は、家からものを取り出そうとして下におりるな。 24:18畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。 24:19その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。 24:20あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。 24:21その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。 24:22もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。
(マタイ24・15~22)

凄い内容だが、どうもこの大艱難は、ある日突然やってくるようだ。
なんか、屋上にいるものは、下におりるなっていうこととか、どうも、津波がやってくるのか?

24:29しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。 24:30そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。 24:31また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。
(マタイ24・29~31)

人の子つまり、予言者イエス が 天の雲に乗ってくる。イエスの再臨

24:36その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。

(マタイ24・36)

24:37人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。 24:38すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。 24:39そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。

(マタイ24・37~39)

そんでもって、神による人々の選別が始まるということを書いている。

25:31人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。 25:32そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、 25:33羊を右に、やぎを左におくであろう。

(マタイ25・31~33)

25:41それから、左にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。 25:42あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせず、かわいていたときに飲ませず、 25:43旅人であったときに宿を貸さず、裸であったときに着せず、また病気のときや、獄にいたときに、わたしを尋ねてくれなかったからである』。

(マタイ25・41~43)

なんか、これって、凄い罰ですね。これって、逆恨みっていうやつ?ではと思うんですが。

マタイによる福音書の第25章を読む限りでは
「太陽は暗くなり、月は光を放たず、星が空から落ち、天体は揺り動かされる」っていうことは、でかい隕石でも、降ってくるのかもしれません。

実は、某公立大学の先生に、あけましておめでとうメールで
世界平和と、隕石が落ちてこないことを願っています。って書いたのですが。いかにも、アスペ的です。

1件のコメント

  1. はじめまして。
    貴方の説も面白いですが、もっと簡単に考えてみましょう。
    「1999年7の月」の詩のナンバーは第10巻72番です。
    10-72を入れ換えると2017です。

    しかし、この詩は再臨と携挙の二重預言になっています。
    1999年は再臨の予定時、
    2017年は携挙の予定時です。

    となると、2017年の冬に艱難が始まりますね。
    艱難が始まる前に逃げないと助かりませんね。

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