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秋月藩の正岡氏は

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先日、訪れた。福岡県朝倉市の正岡氏の足跡を、調査したら

愛媛県今治市大島 に渡った正岡氏と言うことが判明

今月、正岡祭りの準備委員会があるので、愛媛に行った時に、調査しようと思う。

ニューヨークの正岡さんは、城の石垣を見たいというので、わざわざ、今月、愛媛にやってくる。
ほとんど、謎だが、恐らく、渡瀬の事を言っているのだろうと思う。

渡瀬館は、1580年頃

幸門城 さいかどじょう 最後の城主が、正岡経政 母は、別宮修理大夫範之姉

経政の弟 正岡備中守経貞が、渡瀬系の正岡氏の初代で 源吾入道 げんがにゅうどう と言われている。
初代のお墓は、渡瀬館の奥にある。一応は、城だが、居城で、実際住んで生活していたということ。

PC131312

渡瀬系の正岡氏は、家紋が、五三の桐になっており、渡瀬系の正岡氏の流れを組む人は、正岡子規 が 有名である。

P9040854

経政の弟の弟 は、黒河家に養子に行っており、黒河美濃守 通博

渡瀬の存在意義

渡瀬館は、足利幕府15代 最後の将軍 義昭 の子供を養育していた城で、一説には、65代の河野家の当主に河野家を再興せんとしていた。河野太郎通勝 昭王丸 母は、河野右京大夫通宣之長女章子
備後国鞆津黒木御所に生れる。元和四年(一六一八)戊午歳九月十一日龍岡中邑渡瀬城中に卒す
龍岡寺殿 義通昭王大居士
P9040859
正岡家本家に伝わる家系図には、秀吉が、中国を攻めるのに加勢しないことに怒りを挟みて、再興を許諾せず、経政は落飾となっている。

渡瀬の城壁は、とにかく、凄い。あの時代に、あそこまで、精度の高い石垣を作ったのと
地震にも耐えてきたこと、石垣の表面に、草がほとんど生えてこない。

渡瀬に行ったとき、野生の白い孔雀がいて、ビックリ、あまりにも、逃げるスピードが速かったので、撮影できず

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