MASAOKA

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家紋 family flag

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以前、ミクロネシアの正岡さんから、家紋について、質問されたことがある。

正岡家の歴史で

これは、詳しく、整理して、書くべきなんだろうと思うし、その暇というか、気力がなかったのだが

まず、正岡家の始まりは、河野経孝 が、最初の正岡と名乗ったのが、最初だ。

なぜ正岡となったかというと

国津比古命神社 櫛玉比売命神社の岡は、古代
頭日 かぐやの岡
と呼ばれていた。

頭日の岡は、旭が真正面に昇ってくる岡を意味する。
那賀郷の東 に横たわる祖神 饒速日命を祀る神聖な、しかも真正面に旭の昇る岡
国津比古命神社の岡を指している。

この岡は、立岩川が、まだ岩瀬川と呼ばれる高田から高縄山の裾を流れて
頭日の岡の南方を過ぎ、中西外から別府黒岩の方へ流れていた頃
那賀郷がこの岡の南端と山裾の間に狭められ、佐古地形を形成していた。

「真日の佐古の岡」
「真佐古の岡」
「真佐岡」
「正岡」

となったと考えられる。

正岡は、河野親経の弟北条康孝の子 4男 経孝が、初代の正岡氏です。1136年 大三島大明神別宮の地頭神主となり、正岡郷の領主となって正岡家を創めます。

初代の正岡経孝 は、河野経孝 で、河野家 の家系図は

http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/012/01206a.htm
河野家の家系図は、かなり研究されているのですが
簡単に、正岡家の流れを説明すると

第七代孝霊天皇から、物部氏 越智氏がでて、河野家がでて、正岡家が誕生したというわけです。

http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02113.htm

実は、私も、物部氏っていうのが、今一、わかってないのです。

河野家の家系図は、いろいろありますが、有名なのが、予章記で、東予市にある長福寺本、正岡南明禅師が記述したのが、詳細に載っています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%88%E7%AB%A0%E8%A8%98

正岡家自体の記録は、松山神社にある、水里溯洄録」(すいりそかいろく)が詳しい

で、本題の家紋になりますが、家系図に載っている神社を調べると

最初の天皇家は、日本の人だったら、誰でも知っているはずの、16辺の菊
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E8%8A%B1%E7%B4%8B%E7%AB%A0

越智の皇子 正式には、小千の皇子 になると、臣下に下ったってことで、家紋が、三つ巴 になっています。越智氏ゆかりの神社がそうです。
この写真、意外にネットにないです。

大浜八幡大神社には、越智の御子の銅像が立っています。初代の総理大臣の伊藤博文も、越智氏出身で
ここが発祥の地らしいんです。

最近、似たような家紋を大阪で発見しまして、大阪城の門の瓦が、三つ巴になってました。後で、よーく確認したら、ちょっと違ってました。というか、ぜんぜん違ってました。

越智氏から、河野家になったときに、家紋が、折敷に波三 になって

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E9%87%8E%E6%B0%8F

なぜ、家紋が、折敷に三かというと、勲功第三位らしいんです。つまり、源氏で
1位が、源家、次が、北条家で、その次が、河野家 というわけで、鎌倉幕府の順位っていうやつです。

そこから、正岡家が、スタートするのですが、その正岡家でも、家紋が、複雑に分かれることになっています。それは、次の機会に書きます。

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